8月8日午後3時(shí)、明仁天皇がテレビ畫(huà)面に登場(chǎng)した。その獨(dú)特な非常にゆっくりした、そしてはっきりした話(huà)し方で、日本國(guó)民に対し、高齢と體の衰えにより國(guó)の象徴として公務(wù)を履行することが「困難」になったと語(yǔ)った。(文:陳言。瞭望東方週刊掲載)
日本人にとって、今回初めて明仁天皇が話(huà)すのを目にしたという人も多いだろう。なぜなら日本人にとっての天皇は常に寡黙で、正裝に身を包み、內(nèi)閣に任命された各大臣に任命書(shū)を手渡すという存在だからだ。
日本では天皇は一種の象徴としての存在であり、國(guó)政に參加することはない。
天皇が國(guó)民の前に登場(chǎng)する確率がやや高くなるのは、地震などの自然災(zāi)害が生じた場(chǎng)合に限られる。こういった災(zāi)害時(shí)には、ややくだけた服裝の天皇が早い段階で被災(zāi)地を訪(fǎng)れる。それから避難所に腳を踏み入れ、靴を脫いで、跪き、被災(zāi)者たちに親しげに聲をかける。これはテレビで見(jiàn)る居住まいを正した天皇とは異なる一面だ。
また日本人にとって今回のビデオメッセージのほかに「天皇のお言葉」として印象深いのは71年前の玉音放送だろう。1945年8月15日、明仁天皇の父である昭和天皇がラジオを通じて、第二次世界大戦の終戦を告げた。実際はこれは日本の無(wú)條件降伏の宣言であり、これは日本人にとって記憶にとどめるべき歴史的教訓(xùn)となっている。
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