
魯迅が仙臺に留學した時に學んでいた「階段教室」
魯迅の日本に対する見方は今日でも有效
Q:日本では魯迅が非常に重視されているが、一方の魯迅本人はどのように日本を見ていたと思うか?
A: 魯迅は日本のことを知りつくしており、日本については急所を突いた考えを持っていた。魯迅の日本に対する見方は今でも有效だと私は思う。それは、以下の3つの視點から考えることができる。
まず、魯迅は、「東アジア」を信じたことはなく、「東アジア」についてとりとめのない空想をしたこともない。彼は日本に留學していた初期、東京の弘文學院で學び、明治時代の日本の帝國主義の本質(zhì)をはっきりと理解していた?,F(xiàn)在、「東アジア共同體」は、知識界における話題だ。これを話題にしてもいいが、その時は必ず、日本とその他の東アジア諸國について正しく理解していることが前提となっている。
次に、36年、魯迅は日本人の円谷弘との談話の中で、「日本と本當の意味で対等な親善関係を築くためには、中國には必ず対等な軍事力が必要になる。國と國の関係は、力のバランスが取れていなければ、奴隷か敵となってしまう」と明確に述べている。私たちは今、「中日友好」について語る際、この魯迅の言葉を銘記しておかなければならない。対等でなければ、本當の意味での「友好」は存在しないので、自分を強大にすることはとても重要だ。
最後に、魯迅は、中國人の國民性を批判している。私は、彼が日本人の國民性を見本にしていると思っている。魯迅の友人だった內(nèi)山完造は、魯迅が彼に「中國が日本の全てを否定しても、日本人の『まじめ』という長所は絶対に軽視できない。何が起きても、この點は、中國人として日本人から絶対に學ばなければならない」と語ったと振り返っている。私の理解では、「まじめ」というのは、単なる態(tài)度ではなく一種の道德で、國民一人一人や社會全體と関係している。日本が現(xiàn)代化に成功したのは、國民の「まじめさ」と密接な関係がある。中國人にもそのような「まじめ」な態(tài)度と道德があれば、中國の社會も必ずもっとよくなる。もちろん、その背後には制度や文化、価値観などのサポートもある。魯迅の「まじめさ」、「正直さ」、「忍耐強さ」に、日本人の國民性の優(yōu)れた一面を垣間見ることができると、私は思っている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年10月21日
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