公の場(chǎng)に登場(chǎng)することが少ない日本の有名作家、村上春樹(shù)氏がこのほど記者會(huì)見(jiàn)を行い、自筆の原稿や書(shū)簡(jiǎn)、レコードなどの所蔵資料を母校の早稲田大學(xué)に寄贈(zèng)すると発表した。村上氏が國(guó)內(nèi)で會(huì)見(jiàn)に臨んだのは37年ぶりだ。村上氏にとって、早稲田大學(xué)への寄贈(zèng)が「一番妥當(dāng)だ」という。 北京青年報(bào)が伝えた。
「子供がいないので散逸するのも困る」
寄贈(zèng)するのは原稿や書(shū)簡(jiǎn)、蔵書(shū)のほか、自身の作品に関する書(shū)評(píng)や2萬(wàn)點(diǎn)近くに上るレコードのコレクションなどという。うち、最も注目を集めているのが代表作でもある「ノルウェイの森」を執(zhí)筆した際の大學(xué)ノートなどだ。資料の寄贈(zèng)を思い立った理由について、村上氏は、「40年近く小説家として書(shū)いてきて資料がたまり、うちと事務(wù)所におききれなくなってきた。僕には子どもがいないので、僕がいなくなったあとに散逸するのも困るなと思っていた。いろんな行き先を検討したが、やっぱり早稲田大學(xué)は僕の母校だし、そういう意味ではいちばんの落ち著きどころかなと思った。外國(guó)も考えてはみたが、やっぱり日本でやるのがいちばん妥當(dāng)だと思った」と説明した。
村上氏は1968年4月に早稲田大學(xué)第一文學(xué)部に入學(xué)、映畫(huà)演劇科へ進(jìn)んだ。そして、休學(xué)を経て、75年に卒業(yè)した。記者會(huì)見(jiàn)では在學(xué)中について、「あんまり授業(yè)には出ませんでしたが、(早大構(gòu)內(nèi)にある)演劇博物館にはよく通い、古いシナリオをずっと読んでいた」としながらも、その時(shí)の経験が「小説家になった時(shí)に少しは役立った」と話した。また、村上氏は早稲田大學(xué)で妻となった陽(yáng)子氏に出會(huì)ったため、同大學(xué)は村上氏にとってとても思い入れのある場(chǎng)所だ。
研究者向けの奨學(xué)金制度設(shè)置が目標(biāo)
早稲田大學(xué)の鎌田薰総長(zhǎng)によると、寄贈(zèng)は來(lái)年度から段階的に始め、関係施設(shè)の設(shè)立も進(jìn)める。例えば、國(guó)際的研究センター「村上ライブラリー(仮稱)」のほか、蔵書(shū)やレコードを陳列する専用スペースなどを設(shè)置する計(jì)畫(huà)だ。
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