
師村妙石氏の作品、呉昌碩の対句「楊柳樓臺(tái)春風(fēng)人面 蘭苕翡翠初日芙蓉」
■「私の蕓術(shù)の根は中國(guó)にある」
師村氏は常に「漢字がなければ、日本の文字もない。中國(guó)は日本に多くの恩恵を與えてくれた。特に文化方面においてはなおさらだ。そういった意味で、中國(guó)に感謝している。私が使っているのは漢字であり、私は漢字文化を愛している。私の蕓術(shù)の根は中國(guó)にある」と語(yǔ)っている。

師村妙石氏の作品「和」
中華文化への傾倒を胸に、1972年初めて中國(guó)に訪れ、周恩來(lái)総理に謁見した後、師村氏は全精力を創(chuàng)作と中日文化交流に注いできた。これまでに中國(guó)を訪れた回?cái)?shù)は179回にも及び、中國(guó)の全國(guó)各地を回った。師村氏は2011年、上海世界萬(wàn)博に出展した17トンもの円柱形の石柱碑を中國(guó)に寄贈(zèng)した。碑の正面と背面にはそれぞれ革新的な篆刻技法で「中日両國(guó)人民の永遠(yuǎn)なる友好」「心の和、技の和、通い合う心と 心」という文字が彫られている。今回の大連の展覧會(huì)でも、師村氏は、自身が創(chuàng)作した「中國(guó)の夢(mèng)?十二祈望」を寄贈(zèng)している。

師村妙石氏の作品「中國(guó)の夢(mèng)?十二祈望」の「調(diào)和」
師村氏は、「私の作品は日本の若者達(dá)から高い人気を得ている。ニューヨークでの個(gè)展の際には、甲骨文字を知らない米國(guó)人でも、作品に込められた意味を感じ取ってくれた。蕓術(shù)には國(guó)境がない。動(dòng)けなくなるまで、自分の作品を作り続けなければならない」と語(yǔ)った。(編集MZ)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年6月19日
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