
01年、鳥(niǎo)鎮(zhèn)東柵景勝地は正式に一般開(kāi)放され、典型的な水郷を特徴とする街並みがさまざまな所から來(lái)た観光客に人気となった。03年、鳥(niǎo)鎮(zhèn)二期工事が西柵景勝地で始まった。 「東柵と西柵は開(kāi)業(yè)した年から黒字。訪れる観光客も増加を続け、今年は1千萬(wàn)人近くに達(dá)すると見(jiàn)込まれている」という。
鳥(niǎo)鎮(zhèn)はこれまで、復(fù)舊工事や電線類(lèi)地中化、地域の伝統(tǒng)?文化の発掘、過(guò)度の商業(yè)化抑制などを試み、古い街並みを保護(hù)、開(kāi)発する面で、中國(guó)のモデルケースとなっている。それでも、「鳥(niǎo)鎮(zhèn)観光株式有限公司」の陳向宏総裁は、「鳥(niǎo)鎮(zhèn)にはきれいな景色があるが、文化的にはまだ欠けている部分があった」と指摘する。
レジャーリゾートの町から文化の町への舵切りは、13年に起こった。その年、第1回鳥(niǎo)鎮(zhèn)演劇祭が開(kāi)催されたのだ。それから3年の間に、劇場(chǎng)4カ所が建設(shè)された。運(yùn)営スタイルが確立され、イベントを祝うムードも高まる中、現(xiàn)地の人々の生活にも変化が生じた。現(xiàn)地の庶民はこれまで、「演劇」を全く知らなかったものの、各アートのスタイルを少しずつ知るようになっている。西柵景勝地で働いている王さんは、「毎年、演劇祭には家族を連れて見(jiàn)に行く」と話す。陳総裁は、「演劇祭の開(kāi)催により、現(xiàn)地の人々が文化における自信を持つようになったのが最大の変化。演劇祭が鳥(niǎo)鎮(zhèn)の雰囲気を一変させた。加えて演劇祭は國(guó)際的な影響力を持つようになっている。鳥(niǎo)鎮(zhèn)の人達(dá)には誇りを持ってもらいたい」と成果を語(yǔ)る。
そして、「演劇祭、インターネット大會(huì)、現(xiàn)代アート展などが開(kāi)催されるようになった。歴史ある鳥(niǎo)鎮(zhèn)は現(xiàn)在、新たな文化的要素を次々に取り入れている」と語(yǔ)る。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2015年10月28日
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