次に、これは歴史認識問題における安倍氏の「頑なさ」と「保守」を示している。第2次大戦の歴史認識問題において、安倍氏は長年保守の立場を堅持してきた。すなわち「第2次大戦の侵略の歴史が『侵略』かどうかについて定説はない」「日本も戦爭の『被害國』だ」などだ。この保守的歴史認識に導(dǎo)かれて、安倍氏が道義と事実に反する言動をするのもおかしくはない。だが、第2次大戦の歴史認識問題は安倍氏及び日本政界上層部が侵略戦爭を真に悔いているかを判斷する試金石であり、曖昧にしたり、回避したり、さらには美化、否認することは厳粛な第2次大戦の歴史認識問題に対する冒涜と蔑視であり、無數(shù)の戦爭被害國民衆(zhòng)の感情を著しく傷つけ、國際社會の追求する國際公平?正義の主流と逆行するものだ。
同時に、安倍氏の內(nèi)心の矛盾と混亂を示している。8月15日は本來非常に敏感な日であり、日本の一挙一動に國際社會は注目している。だが、安倍氏及びその他右翼保守勢力にとって、この日は入念に「パフォーマンス」をする日だ。もちろんこの「パフォーマンス」は卓越した技巧をもって初めて効を奏するのであり、いかなる「ほころび」も「パフォーマンス」の効果を大きくそぐ。このため、安倍氏の內(nèi)心は極度に矛盾し、混亂している。國際社會の警戒と圧力に多少遠慮せざるを得ない一方で、日本國內(nèi)の右翼保守勢力は歴史認識問題で強硬的立場を取るよう安倍氏をそそのかしている。しかも安倍氏個人の政治的夢も歴史認識問題で過激な行動へと駆り立てている。こうして外部、內(nèi)部、個人の三重の圧力に囲まれた安倍氏は深い矛盾と混亂に陥っている。この矛盾と混亂は反復(fù)し、安倍氏に苦しい選択を迫った。すなわち敏感な歴史認識問題を引き続き回避するのか、強硬保守の歴史認識を引き続き遂行するのか、それとも國際社會の圧力の下で誤った歴史認識を放棄するのかだ。選択を前に、安倍氏は妥協(xié)を選んだ。つまり、日本國內(nèi)の右翼保守勢力に妥協(xié)し、引き続き形を変えて靖國神社を「參拝」するというものだ。本人は靖國神社に行かないが、「心は行った」のだ。
また、安倍氏及びその日本右翼勢力が依然「戦前」の影から抜け出していないことを示している。明治學(xué)院大學(xué)國際平和研究所の石田隆至研究員は、日本がいつも反省し、かつ斷固として戦爭の覆轍を踏まず、さらに被害國に「過去の過ちを反省した」と認められて初めて、東アジアに本當(dāng)の意味で「戦後」は訪れ、戦爭被害國との関係は修復(fù)されると指摘した。確かに、8月15日に象徴的に「過去の歴史を思い出す」だけではなく、より重要なことに、日常的に、いつも、そして內(nèi)心から第2次大戦の誤った歴史の教訓(xùn)を銘記し、誤った歴史への悔悟の念を內(nèi)心に永遠に刻み、戦爭被害國民衆(zhòng)の苦難を真に感じ、戦爭被害國の侵略された痛ましい歴史を心から尊重し、深く認識して初めて、日本は「戦前」から脫し、真に「戦後」に入ることができるのである。(編集NA)
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「人民網(wǎng)日本語版」2016年8月17日
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