武漢大學(xué)歴史學(xué)院の馮天瑜教授は、「近代日本の中國の調(diào)査に関係した多くの系統(tǒng)の中でも、東亜同文書院の調(diào)査期間は最も長く、最も網(wǎng)羅的。1880年代中期に、同院の前身である漢口楽善堂、上海日清貿(mào)易研究所は中國で調(diào)査を始めており、1940年代中期に日本が敗戦を経験するまでの約60年間、ほとんど途切れることなく、調(diào)査が続けられた。調(diào)査した地域は、西蔵(チベット)自治區(qū)を除く、中國各省?區(qū)に渡り、一部の市、県、郷、鎮(zhèn)、ひいては、関所、港、さらに、ロシアのシベリア、極東、フランス領(lǐng)インドシナ半島、南洋諸島にまで達している。同院の調(diào)査資料や著述は基本的に完全な形で保存されているものの、あまり知られていないため、最もよく知られている満鉄調(diào)査と比べると、ほとんど利用されてこなかった」と説明する。
中國國家図書館出版社の方自金?社長によると、同院が中國で行った調(diào)査の原稿は現(xiàn)在、中國と日本で保存されている。うち、中國國家図書館が1927-43年に同院の學(xué)生が提出した約2000本の報告原稿を、日本の愛知大學(xué)が1916-35年の寫本合本約650冊を保存している。それぞれが保管している資料は重なっている部分もあるものの、バージョンが異なる。また、その量は膨大で、閲覧したり利用したりするのは大変で、學(xué)界もずっと手を出してこなかった。
1990年代から、馮教授は、國家図書館と愛知大學(xué)で何度もそれら文獻を閲覧し、近代日本が中國で実施した調(diào)査が、あまりに詳細にまで至っていることに驚いたという。「同院の中國で行った調(diào)査は、中國を侵略することを目的としているものの、長江の北から南、黃河の上流から下流、中國の東北地方、砂漠がある西部地域などで行われた詳しい社會調(diào)査は、今でも、清(1644-1912年)の末、民國社會を研究する上で助けとなる歴史文獻と見なすことができる。また、その実証主義の調(diào)査?研究方法は、今日の學(xué)者にとっても參考、模範となる」と馮教授。
國家図書館の韓永進?館長は、「『東亜同文書院中國調(diào)査手稿叢刊』は、民國時代の文獻保護計畫、中國國家社會科學(xué)基金抗日戦爭研究特定項目プロジェクトの成果で、民國史や中國社會史、経済史、地方史を研究するための貴重な資料であると同時に、日本の軍國主義を暴露することができる資料でもあり、中國人の防御意識を高めることができる。また、中國と日本の近代の関係や抗日戦爭の研究においても、非常に現(xiàn)実的な意義を有している」と評価している。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年12月14日
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