
仙臺(tái)出身の張本智和選手(15)はこのわずか2年足らずの間に、數(shù)々の世界新記録を塗り替え、「怪物」、「神童」、「100年にひとりの逸材」などと呼ばれるようになっている。そして、新年早々、張本選手は再び新たに2つの記録を塗り替えた。1つは、卓球世界ランキングの男子で、史上最年少で3位にランクアップしたこと。そしてもう1つは、世界ランキング4位だった水谷隼選手を抜いて、日本勢(shì)として過(guò)去最高のランクとなったことだ。そんな張本選手をこのほど取材し、15歳の少年の心のうちを語(yǔ)ってもらった。環(huán)球時(shí)報(bào)が報(bào)じた。
昨年末、卓球ワールドツアーグランドファイナルの男子シングルス決勝で、世界ランク5位だった張本選手は同4位だった中國(guó)の林高遠(yuǎn)選手と対戦し、4対1で勝利。史上最年少の15歳189日での優(yōu)勝を成し遂げた。優(yōu)勝した時(shí)の心境について、張本選手は、「こうした成績(jī)を収めることができとてもうれしかった」としながらも、「試合の練習(xí)でも、韓國(guó)に行って試合が始まってからも、普段通りの卓球をして、いつも通りの力を出すことを常に意識(shí)した」と試合のために特別な準(zhǔn)備はしなかったとし、「でも、試合中は、どうすれば相手を先んじることができるかずっと考えていた」とした。
2017年、當(dāng)時(shí)13歳だった張本選手は世界選手権個(gè)人戦で日本のエース水谷隼選手を破って話題をさらい、さらに「ダークホース」となってベスト8入りを果たした。同年、チェコオープンで歐米の強(qiáng)豪を次々に撃破し優(yōu)勝。ワールドツアー史上最年少優(yōu)勝記録を更新した。18年に入り、張本選手は、中國(guó)の馬龍選手や張継科選手、樊振東選手、林選手などの主力を次々に破った。「サンケイスポーツ」は昨年末に、「張本に中國(guó)アレルギーなし!歴代の五輪王者倒し大躍進(jìn)の1年に」というタイトルの記事を掲載した。しかし、中國(guó)の許昕選手は依然として張本選手にとっては高い壁となっており、これまでの対戦成績(jī)は4戦して4敗と許選手が全勝している。韓國(guó)で林選手を破って優(yōu)勝した後、張本選手は許選手との対戦への意欲を示した。しかしその點(diǎn)について今回の取材では許選手への「挑戦」には觸れず、「普段、中國(guó)の選手と交流する機(jī)會(huì)はほとんどない。でも、お互い刺激し合える良い意味でのライバルだと思っている。中國(guó)の選手から學(xué)べることはまだまだたくさんある」と謙虛に述べた。
1988年に卓球が五輪の正式種目になってから、日本勢(shì)が金メダルを手にしたことはまだない。過(guò)去に、「世界ランキング1位という立場(chǎng)で20年の東京五輪に出場(chǎng)したい」という「野望」を語(yǔ)ったことがある張本選手は今回の取材では、「五輪までの小さな目標(biāo)は、日本代表に確実に選ばれること。心理的にも、メンタル的にも、戦術(shù)の面でも、まだ強(qiáng)化すべき點(diǎn)がたくさんある。けがを絶対しないようにして、技術(shù)を磨いていきたい」と話した。
そして彼の戦績(jī)だけでなく、張本選手の両親が中國(guó)人であることも大きな注目を集めている。張本選手自身は日本で生まれ育ったものの、両親はもともと中國(guó)の卓球選手だ。父親の張宇さんは以前四川省チームに屬し、今は張本選手のコーチを務(wù)めている。母親の張凌さんは中國(guó)卓球ナショナルチームの元メンバーで、鄧亜萍選手などと切磋琢磨していた。14年、張本選手は張宇さん、妹の美和さんと共に日本國(guó)籍を取得して帰化し、張姓から張本姓になった。そして、日本代表として國(guó)際試合に參戦できるようになった?!附襻帷⒅腥諄I國(guó)の卓球事業(yè)のために何をしたいか?」との質(zhì)問(wèn)に、張本選手は、「中國(guó)や日本だけに限らず、世界中に卓球をPRして、盛り上げていきたい」と述べた。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2019年1月11日
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