北京に來た當(dāng)初住んでいた四合院がある磁器庫(kù)胡同 北京の中心地?故宮のすぐ東脇にある
実際河原さんはその言葉をすべて実現(xiàn)していき、アイドルと同世代の作曲家として一躍注目される存在となる。では、將來を囑望され若手作曲家の筆頭にも數(shù)えられていた河原さんが今なぜ北京にいるのだろうか?
――僕自身も今その答えを探している最中なんです。奇跡的な偶然が重なって今ここにいるとしか言いようがないんですが、ただ今思えば來るべくして來たのかなと思います。
昔から人と接したり、何かを一緒に作り上げていくことが好きだったせいか、いつの頃からか音楽で世の中に関わったり、何か社會(huì)に貢獻(xiàn)したいという思いを抱いていました。前々からボランティア活動(dòng)にも興味があり、青年海外協(xié)力隊(duì)(JICA)などの説明會(huì)などにも定期的に足を運(yùn)んでいました。
そんなある日、ウガンダの中等學(xué)校の音楽プロジェクトに関わる日本人男性と會(huì)う機(jī)會(huì)があって話を伺っているうちに、自分の中で世界中の子供たちと一緒に音楽をやりたいという思いが強(qiáng)く湧き上がってきました。
その後、途上國(guó)で音楽教育に攜わりたいという思いが抑えきれなくなり、會(huì)社を辭めてフリーランスになった日に、フェイスブックで強(qiáng)い意思を持って、「海外に活動(dòng)を求める」旨の文章を書き込みました。とは言っても、その時(shí)は、北京に來るなんて考えは全くなくて、南米やアフリカなどをおぼろげに念頭に置いていました。
すると、その書き込みを読んでくれた音楽関係者から、今北京で活躍している日本人のレコーディングエンジニアが帰國(guó)しているから飲みにおいでよという誘いの連絡(luò)が入ったんです。そこで出會(huì)ったエンジニアさんが「遊びにおいで」と言ってくれたので、お言葉に甘えて一週間ほど旅行に行きました。旅行中に北京の魅力を知って住んでみたいなと思っていた時(shí)に偶然知り合った人が借り手を探している四合院(中國(guó)の伝統(tǒng)家屋建築)を紹介してくれました。一目で惚れ込んで、引っ越しを決意しました。
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