なぜ8月15日が最終的に日本によって「終戦記念日」と認(rèn)定されるようになったのか。
8月15日は、日本の當(dāng)局が、事前に録音した戦爭終結(jié)に関する昭和天皇の「玉音」を日本放送協(xié)會のラジオ放送を通じて國民全體に発表した日である。この日の情景については、日本のメディアも報道している。
「御詔勅を拝し二重橋の前にぬかづく赤子の群は頭を深く垂れ滂沱として押へる淚、ああ何の顔あつて頭を上げん『陛下御許しくださいませ、我ら足りませんでした』」(『京都新聞』1945年8月15日號外)
昭和天皇の「玉音」放送で使われたのは、わかりにくい文語文であり、一般の人にはよく理解できなかった。だが當(dāng)局が必要としていたのは、民衆(zhòng)が天皇の「玉音」を聴くという形を通じて、その記憶の効果を高めることだった。同時に、「玉音放送」という手段を通じて、敗戦による民心の動揺を落ち著けるという意図もあった。さらに天皇の「玉音」は、日本の神道ではすべてをゼロに戻すという効果も持っていた。つまり8月15日の玉音放送は、日本のそれまでのあらゆる苦難も罪業(yè)もゼロとするものだった。だが佐藤卓己氏が語るように、8月15日に皇居前広場にひざまずく人々の様子は當(dāng)時の宣戦布告の時と何の區(qū)別もなく、メディアも8月15日を境として何の変化も起こすことはなかった。同様に、高度の國防體制が高度の経済成長に変わっただけで、國民性には何の変化もなかった。
東京には毎年8月15日になるとひときわ「にぎやか」になる場所がある。靖國神社である。靖國神社についてはすでに多くの報道があるので、ここでは繰り返さない。だが一點だけ指摘しておきたいのは、同日に日本武道館で行われる「全國戦沒者追悼式」と比べると、靖國神社の參拝には、死者に対する追悼だけでなく、これを賞揚する目的がかいま見られるということだ。靖國神社の遊就館を見學(xué)したことのある人にはそのことが明らかだろう。
だが何と言おうとも、8月15日が記念に値する日であることは間違いない。橫暴を極めた日本軍國主義はこの日、ついに頭をたれた。日本軍國主義に侵略された中國やアジア諸國はこの日、勝利を収めた。世界の反ファシズム統(tǒng)一戦線はこの日、長く苦しい戦いを終え、最終的な勝利を勝ち取った。そしてさらに、多くの日本の民衆(zhòng)はこの日、軍國主義の魔の手から解き放たれ、平和な生活を再び取り戻した。第2次大戦から69年。忘卻することのできないこの記憶のために、また恒久の平和のために、私たちはもう一度、この記憶を永遠(yuǎn)とすることを誓わなければならない。(文:中國社會科學(xué)院日本研究所日本問題専門家?趙剛)(編集MA)
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「人民網(wǎng)日本語版」2014年8月15日
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