韓國仁川で開催中の第17回アジア競技大會で、日本の競泳選手の冨田尚彌がカメラを竊盜し、日本選手団から追放された。冨田とはいったいどのような人物なのだろうか?
喘息治療のため水泳を開始、ポスト北島と目される
冨田尚彌(25)は愛知県東海市出身だ。両親は冨田の喘息を治療するため、1歳にも満たない頃からスイミングスクールに通わせた。小學(xué)校入學(xué)前、冨田は平泳ぎを磨くことを決めた。平泳ぎは、日本競泳男子の伝統(tǒng)的な得意種目だ。
冨田は中學(xué)から大學(xué)に進(jìn)學(xué)し、水泳の進(jìn)化を遂げた。21歳の冨田は2010年広州アジア競技大會で、健康狀態(tài)の優(yōu)れなかった北島康介の代わりに急遽200メートル平泳ぎに參戦し、金メダルを獲得した。
22歳の冨田は2011年、上海で開催される2011年世界水泳選手権の國內(nèi)選考に出場した。冨田は200メートル平泳ぎで2分08秒25を記録し、當(dāng)時の世界最高記録を樹立し、同じプールで競技していた北島を圧倒した。冨田はそれから、ポスト北島と目されるようになった。
ミッキーマウスが大好き
しかし冨田はその後、世界記録を更新することができず、1年後のロンドン五輪出場の機(jī)會を逃した?!副睄u選手と違い、私は大きな大會ほど成績が振るわない。試合向きの北島選手が羨ましい」
冨田は2年後に再起し、海外での練習(xí)と世界大會への參加を続けた。そのころ日本メディアの目ざとい記者は、20歳を超えた冨田が海外遠(yuǎn)征のたびに、全長1メートルの黃色のミッキーマウスを持ち込むことに気付いた。冨田の心は子供のままなのかもしれない。
仁川遠(yuǎn)征、自信満々の冨田
今回のアジア大會の試合前、冨田は気合が入り、意気込んでいた?!弗ⅴ弗ⅳ扦丹ē去氓驻摔胜欷胜堡欷?、リオ五輪で金メダルは獲得できない」
24日の試合後の記者會見で、前大會の200メートル平泳ぎの覇者である冨田は記者に対して、「選手団に入るのは久しぶりだ。試合を楽しみたい」と語った。
積極的な姿勢が耳と目に殘る翌日、カメラ竊盜という思いがけぬ事件が生じた。26日の男子100メートル自由形に出場した冨田は、午前中に予選敗退した。當(dāng)時彼の竊盜はまだ明らかになっていなかったが、自責(zé)の念は冨田をプレッシャーで押しつぶしたのかもしれない。
冨田は現(xiàn)在も選手村で、韓國の検察當(dāng)局の最終判斷を待っている。韓國の法に基づき処罰を受けると同時に、當(dāng)事者に謝罪をさせられる可能性もある。幸運(yùn)にも韓國の法的処罰を逃れたところで、日本で彼を待っているのは、日本水泳連盟と日本オリンピック委員會からの処罰だ。
「チャイナネット」2014年9月29日
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