メンバーの高齢化と人數(shù)の減少に伴い、中帰連は2002年、「撫順の奇蹟を受け継ぐ會」と改名し、「中帰連」が提唱する歴史の反省と平和友好の精神が受け継がれていくように、若い世代の參加も可能とした。高橋は語る。「現(xiàn)在の協(xié)會の交流活動はすべて若い世代が展開している。このようにしてこそ日中友好は子々孫々にわたって伝わっていくはずだ」
日本社會の歴史観に対しては、高橋は大きな憂慮を抱いている。日本に帰ったばかりの頃、中帰連のメンバーらの暮らしは苦しく、保障もなかった。一部の日本人は彼らに同情を寄せるどころか、彼らを「洗脳された人」として扱った。高橋は語る?!笐闋帳Kわって70年になるのに、日本國內(nèi)にはまだ侵略を認(rèn)めず、民族的な優(yōu)越感を持っている者がいる。右翼の人は、日本はすでに中國に何度も謝ったのだから、日中関係が改善しないのは被害者の方の問題だと主張している。侵略の歴史を認(rèn)めて反省することは自虐史観とされてしまっている」
高橋は、日中友好を?qū)g現(xiàn)するためには、加害者である日本がまず自らの犯した罪を認(rèn)めなければならないと主張する。この前提があって初めて、被害者である中國は日本を理解し、その犯した罪を許せるようになる。こうして初めて和解は実現(xiàn)できる。中國では抗日戦爭で數(shù)千萬人が犠牲となった。日本人がもし中國人の立場から考えることができるなら、両國間の多くの問題は解決する。「前事の忘れざるは後事の師なり」(過去を忘れず、未來の教訓(xùn)とする)。高橋は、日中両國の若者がまじめに歴史を?qū)Wび、正しい歴史観を持つことを願っている。歴史を知らなければ、目前の問題を処理することはできない。
94歳という高齢の高橋は、自らの記憶に深く刻み込まれた忘れがたい自らの経験を通じて、侵略戦爭の歴史の一コマを再現(xiàn)してみせた。だが取材後、高橋は「70年以上のできごと、あんなにも多くの苦しみを、2時間余りの取材で語りきれるだろうか」と言った。その言葉を聞いて、肩に乗った荷の重さを感じた。歴史の體験者の証言が限りある紙幅の中で可能な限り伝わったことを願ってやまない。(編集MA)
「人民網(wǎng)日本語版」2015年9月18日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386