様々な古い文獻の中には「冒昧(僭越ながら)、打擾(お邪魔します)、叨擾(ご招待にあずかる)、労駕(すみません)、拝托(お願いします)」といった単語が頻繁に見られ、その使用率は非常に高い。漢詩の中で道を?qū)い亭雸龊悉稀附琛工趣いψ证工铯?、「借問酒家何処有?(借問す酒家は何れの処に有る)」となり、謙虛にお辭儀をする禮儀正しい君子のイメージがありありと浮かんでくるだろう。この詩に描かれている人物は気が滅入っているにも関わらず、自身の問いかけが牧童に迷惑にならないように配慮を怠らず、まず相手に敬意とお詫びの気持ちを示しているのだ。
また現(xiàn)代の中國人の日常生活において、少なくとも北京や河北省一帯では人々は會話の中で依然として「ご苦労様」、「ご容赦ください」、「すみませんが」、「お手?jǐn)?shù)かけました」と言った表現(xiàn)を使っている。毎回、自分の行為が他人に迷惑をかける場合などは、この種の言葉を使うことで、自身の心からの申し訳なさと感謝の気持ちを伝えるのだ。
ただこれらの習(xí)慣はまるで祖父母の部屋にある古い書物のように、古びた街角に留まり、現(xiàn)代中國人の周りでは見かけなくなった。いつの頃からかわからないが、中國の教育は「自己」や「自分」を過度に強調(diào)するようになり、「人」が生きていく中で最も重要な能力である集団の中での一人としてその他のメンバーと平和的な関係を保つ能力を軽視するようになってしまった。
土曜日に微博(ウェイボー)で、ある父親が4歳の息子を連れて、國道沿いに河南省からインラインスケートで14日間かけて北京にたどり著いたというニュースが掲載された。138萬人が閲覧し、1000件あまりのコメントがついた。稱賛する人もいれば、子供の発育に影響するとコメントする人、安全を気にする人など様々なコメントがあったが、國道という道路狀況が複雑な場所での「このような行為は國道を運転している運転手たちに迷惑をかけるのではないのだろうか」というコメントはほとんど見られなかった。
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