また以前、人々にどのように自分のためのチャンスを生み出すか啓発するような文章を読んだことがある。その文章には「研修會(huì)に參加した場(chǎng)合、必ず質(zhì)問のチャンスを勝ち取ること。そうすれば教師のあなたに対する印象は深まり、覚えてもらうことができる。もし何も質(zhì)問するような問題が無い場(chǎng)合は、先ほどの內(nèi)容がよくわからなかったと言って、教師にもう一度繰り返させればよい」と書かれていた。
これが「人をダメにさせる」と言えるかどうかはわからないが、授業(yè)に參加している人なら誰でも知っているように、毎回の授業(yè)で質(zhì)問できるチャンスはとても少なく、そして非常に貴重だ。もし知識(shí)を求めるためではなく、質(zhì)の高い質(zhì)問はないものの、先生への印象を深めるためだけならば、授業(yè)が終わってから廊下で先生と話すチャンスをうかがえば、相手に與える印象もさらに深まるだろう。それに皆の貴重な授業(yè)時(shí)間を無駄にすることもない。上述のような行為は教師とその他の生徒にとって迷惑以外の何物でもないからだ。
すでに何年もの間、中國人は皆、前へ前へと足早に進(jìn)みながら、毎日ほとんど変わりの無い世界で暮らし、生活のために何かを奪い、全力を盡くし、聲をからして、まるで窮地に身をおく人のように、必要のない重荷を全て投げ出し、全力で奪うことを続けてきた。その結(jié)果、ある日ふと振り返ってみると、とても多くの物を失ってしまったようだと気づいたのだ。この喪失感を恐れるあまり、中國人は焦って探し求め始めている。ドイツの匠の精神、日本の禮儀、イギリスの優(yōu)雅さ、ニュージーランドの牧歌的な田園。しかしこれらは実は中國人の伝統(tǒng)の中にもともとあったものであるということを見落としている。しかも中國人がかつて受け継いできたものは、かの國々が持っているものよりもさらに純粋で成熟していた。「古くからの文明の國」という名は決して適當(dāng)につけられたものではなく、五千年の文明の歴史はそう簡(jiǎn)単に今日まで伝承されてきたのではないのだ。
だから中國人はあちこち探し回る必要などない。落ち著いて心の奧底と脈々と流れる血液に秘められた聲に耳を傾ければ、再び大國としての自信とあらゆる伝承を取り戻すことができるだろう。(編集TG)
「人民網(wǎng)日本語版」2016年4月13日
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