しばらくして、楊さんは返事を受け取り、福田さんは切手収集家ではなく、兵庫(kù)県姫路市の日中友好協(xié)會(huì)の會(huì)長(zhǎng)で、中國(guó)文化研究會(huì)の會(huì)長(zhǎng)でもあること、切手を送ってほしいと頼んだのは日中文化交流を展開するためであることなどを知った。福田さんはまた、切手以外に、日本の學(xué)校に送ったり、協(xié)會(huì)が開催する中國(guó)文化展覧會(huì)で展示したりするために、中國(guó)の書道の掛け軸や中國(guó)畫なども送ってほしいとのことだった。
福田さんが手紙のやり取りをした中國(guó)人は楊さんが初めてではなかった。55年、神戸大學(xué)で中國(guó)語を?qū)Wんでいた福田さんは、當(dāng)時(shí)の中國(guó)の外交部(外務(wù)省)の部長(zhǎng)を兼任していた周恩來総理に手紙を書き、中國(guó)の民間の文化を日本の子供たちに紹介したいと願(yuàn)っていることを伝えていた。
楊さんが提供してくれた資料に、75年11月28日の「毎日新聞」の切り抜きのコピーがあった。
そこには、「1956年春、周総理からの返信ときれいなイラストブック40冊(cè)を受け取った福田さんは、すぐにそれを日本語に翻訳?!簹叭招W(xué)生新聞』と『毎日中學(xué)生新聞』に掲載し、子供たちの間で人気になった。その後、福田さんの元には、周総理から図書500冊(cè)が送られてきた。75年、周総理が重病を患った際、國(guó)際ペンフレンド協(xié)會(huì)の會(huì)長(zhǎng)だった姫路市立飾磨小學(xué)校の教諭?福田さんは、日本各地からお見舞いの手紙130通を集め、北京駐在の小川大使を通して周総理に『一日も早い回復(fù)を願(yuàn)っている』と伝えた。それらの手紙は、北の北海道から南の宮崎県の日本全國(guó)の小學(xué)生や文通愛好家が書いたもので、『日中友好のために多大の努力を払っている周総理が一日も早く元?dú)荬摔胜毪长趣蛐膜槠恧盲皮い搿护长趣瑫欷皮い俊工扔洡丹欷皮い搿?/p>
周総理のほか、福田さんは中國(guó)の毛沢東主席や宋慶齢副主席にも手紙を書いたことがあり、それぞれ返信も受け取った?!笟叭招侣劇工?6年9月27日に、「毛主席が福田さんに図書4冊(cè)を送った」とする記事を掲載した。その記事の切り抜きや宋副主席の返信のコピーを、福田さんは楊さんに送った。
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