浙江省、江蘇省、安徽省、江西省など、長(zhǎng)江の中?下流地域の商人からなるグループは「三江幇(さんこうはん)」と呼ばれ、棉や、生糸、茶、米などの豊富な物産や巨大な労働力市場(chǎng)、明?清時(shí)代に形成した商業(yè)ネットワークと知恵、加えて上海を首とする寧波、南京、鎮(zhèn)江、蕪湖など海外との貿(mào)易がある都市の存在と発展などが、三江幇の対外交易活動(dòng)を促進(jìn)した。上海が中國(guó)國(guó)內(nèi)の交易構(gòu)造や東アジアの國(guó)際都市における地位を高めていったのを背景に、三江幇の華商(華人商人)たちは、上海や長(zhǎng)江流域、神戸、大阪などの地域との連攜を強(qiáng)化する過(guò)程で、重要な存在となっていった。
神戸では、「三江公所」だけでなく、広東省の商人からなる団體「広業(yè)公所」が1905年5月に財(cái)団法人の認(rèn)可を受け、福建省南部の商人からなる団體「福建公所」も1930年5月に社団法人として認(rèn)可された。しかし、これらの団體の中で、「中日や華商同士のビジネス上のトラブルを仲裁する」という明確な目的があったのは三江公所だけだった。三江幇商人が神戸に移住し、社団法人「三江商業(yè)會(huì)」を設(shè)立するまで、三江公所は、従來(lái)の形式を保ちつつ、商業(yè)會(huì)議所のような近代化された商人自治団體への変転を遂げていった。このような調(diào)整と変遷は、個(gè)人が國(guó)籍が変えることでアイデンティティを失ってしまうことを避けるうえで重要な役割を果たしたほか、中日のビジネス上のトラブルを解決する過(guò)程で、華商団體が良い外的環(huán)境を構(gòu)築する面でも重要な役割を果たした。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2016年7月7日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫(xiě)真の無(wú)斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn