日本で公共バスに乗る時(shí)は、カードを使うこともできれば、お金を運(yùn)賃箱に入れることもできる。運(yùn)賃箱にお金を入れると自動(dòng)で記録され、入れた金額が表示される。お釣りも自動(dòng)で出てくる。このようなシステムは多くの國(guó)にない。もちろん、運(yùn)賃は決して安くはなかった。到著して二日目の早朝、バスに乗る時(shí)に車いすの若い女性が乗車するのを目にした。制服を著た運(yùn)転手がボタンを押すと、バスの後ろのドアからスロープ板が展開(kāi)され、地面との段差がなくなった。そして、運(yùn)転手がバスから降りて、女性の乗車を手伝っていた。そして、乗車後も、障害者用の特別席に彼女が座るのを手助けしていた。その全ての過(guò)程が円滑で、慣れた手つきであるため、女性も非常に落ち著いていた。このような障害者にもやさしい設(shè)計(jì)の公共バスやマニュアル化された運(yùn)転手の仕事は、米國(guó)と同じであるが、中國(guó)では見(jiàn)られない。
その後も何度が公共バスに乗ったが、高齢者がとても多いことに気付いた。ある時(shí)、私は高齢者や障害者などの専用席に座っていたため、高齢の女性に席を譲った。すると、その女性は何度もお辭儀をしながらお禮を言ってくれた。別の時(shí)、白髪の高齢者男性が4歳か5歳の女の子を連れてバスに乗っていた。その時(shí)私は立っていたため、席を譲ることはできなかったが、普通席に座っている若者や中年の人は、誰(shuí)も彼らに席を譲らなかった。私の経験からして、中國(guó)の都市の公共バスなら、若者は必ず席を譲ると斷言できるが、日本では譲る人がいなかった。東京を見(jiàn)渡すために40數(shù)階建ての東京都庁に行き、エレベーターに乗った時(shí)も同じような光景を目にした。ベビーカーを押しながら、歩ける子供も連れていた夫婦が一番最後にエレベーターから出てきた。米國(guó)なら、そのような時(shí)、一緒に乗っていた人の誰(shuí)かが、子供を連れていたりして小回りの利かない家族が先に出られるようにし、エレベーターのボタンもずっと押してくれているものだ。特に、男性はこのような狀況下で先に出てくることはまずない。
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