執(zhí)筆は孤獨(dú)な作業(yè)
長(zhǎng)年作品を発表し続け、大きな功績(jī)を挙げているものの、村上春樹は、「小説、特に長(zhǎng)編小説を書くのは、実際とても孤獨(dú)な作業(yè)だ。まるで自分一人で深い井戸の底にいるかのような寂しさをたまに感じることがある。執(zhí)筆作業(yè)中、誰(shuí)も助けに來(lái)たり、肩をたたいて呼びかけてくれたり、『今日の仕事は上出來(lái)だった』と褒めたりしてくれないからだ」と語(yǔ)っている。
執(zhí)筆作業(yè)のために、村上春樹は郊外に住むのを好み、毎日早寢早起きの健康的な生活をおくっている。また、毎日ジョギングを続けており、自分でサラダを作るのも好きだという。これについて、村上春樹は、「おそらくこんな作家は誰(shuí)もあこがれないだろう」と冗談交じりに語(yǔ)っている。
村上春樹が文學(xué)賞にこだわらない理由とは?
村上春樹は毎年ノーベル文學(xué)賞の受賞候補(bǔ)として名前が挙がるものの、受賞には至っていない。このことがこの話題を非常に特別なものにしてしまっている。特に一章を設(shè)けて文學(xué)賞に対する態(tài)度について語(yǔ)っている
毎回インタビューで文學(xué)賞について聞かれると、村上春樹は、「一番大切なのはいい読者がいること。どんな文學(xué)賞や勲章、本に対する良い評(píng)価と比べても、自分のお金で私の本を買ってくれる読者ほど意義のある存在はない」といつも答えている。
このような返答は上品で禮儀正しい「形だけの発言」にも聞こえるが、村上春樹は、「何度聞かれようと、同じ答えを繰り返し言い続ける」としている。
先ごろ、村上春樹はある書店で「村上春樹はどうして芥川賞を獲れないのか」といった?jī)?nèi)容の本を見つけたという。
これについて、村上春樹は、「このような本を読んだことはなく、どんな內(nèi)容なのか知らないが、自分で買うのは気がひける。もし私が芥川賞を獲っていれば、イラク戦爭(zhēng)が起こらなかったということであれば、自責(zé)の念に駆られるようになるが、実際そんなことはありえない。後世に殘るのは作品自體であって、賞などではない」と強(qiáng)調(diào)している。
作家になった後、村上春樹は、「何をどのように書いたとしても、最終的には人から何か文句を言われてしまう」という教訓(xùn)を深く心にとどめているという。他人からの評(píng)価について、村上春樹は、「25年前に執(zhí)筆活動(dòng)を始めてから、今日まで世間の人から、『村上春樹の作品は今の時(shí)代に追いついていない。彼はもう終わってる』と言われ続けている。これにいちいちかまっていたら、身が持たなくなる。そのため、自分は『他人には好きに言わせておこう。どのみち悪口を言われるのなら、思い切って自分が書きたいものを書きたいように書いてしまえばいい』と自然に考えるようになった」と語(yǔ)っている。(編集YK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2016年12月30日
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