普段はどちらかというと人からつっつかれてもなかなか動(dòng)かないタイプだという梶ヶ谷さん。しかし一旦心に火がつくと周囲の人々を驚かせるほどの行動(dòng)力を見せる。建築家としてのキャリアの始まりもまさにそうだ。
――當(dāng)時(shí)は、なんで絶対に就職しなければならないのか、と思ってました。就職は結(jié)婚と同じだと考えていたんです。結(jié)婚って、結(jié)婚したい相手が現(xiàn)れたらするものですよね。就職も、しなければならないからではなくて、就職したいと思えるところがあればしようと思っていました。大學(xué)院を卒業(yè)後も長く歐州旅行に行ったりして、しばらくの間ふらふらしてました。
旅行から戻ってきて、これはさすがにやばいなと思って就職先を探したんですけど、1日行って合わないとか、1カ月行って合わないとか、色々試行錯(cuò)誤してました。でも、あせる必要はない。まずは興味のあることを探ろうと思い、ネットサーフィンをしている時(shí)に、たまたま東京R不動(dòng)産とRプロジェクトのことを知りました。新しいことを模索していて面白いなと思って調(diào)べてみたら、そこからOpen A という設(shè)計(jì)事務(wù)所に行き著きました。その事務(wù)所の代表の講演會(huì)を聞きに行った翌日には、事務(wù)所宛に何でもいいから働かせてくださいとメールしていました。
こうしてスタッフが2人しかいない事務(wù)所にアルバイトとして入社。後に正式なスタッフとなって大型リノベーションなどの法人関係や個(gè)人住宅などの設(shè)計(jì)を擔(dān)當(dāng)した。約5年近く働いた頃、ステップアップのために會(huì)社を辭めることに。海外へ行くか、それとも日本で獨(dú)立するか、心には2つの選択肢があった。
――海外だったら別の仕事も含めてもう少し幅が広がるのではないかと考えたんです。當(dāng)時(shí)ぎりぎり30歳だったので、ワーキングホリデイを使って海外に行くことを思いつきました。
ヨーロッパかそれともオーストラリアかと考えている時(shí)に、日本の有名デザイナーがオーストラリアの建築家に依頼した別荘プロジェクトに攜わった日本人建築家のことを知りました。その方のパーティでこのプロジェクトの作品を見る機(jī)會(huì)があったのですが、それがすごくかっこよかったんです。日本で使っている材料や素材とも全然違っていて、とてもエコ的な発想に基づいた斬新なものでした。
こんな建築どうやって作るんだろう、どこからこんな発想が浮かんでくるんだろうとすごい興味を引かれました。
再び心に火がついた梶ヶ谷さんはその建築家が來日した際に開いた講演會(huì)にポートフォリオやレジュメを持って行き、直接自分を売り込んだ。その時(shí)は返事をもらえなかったが、ワーキングホリデイを利用してオーストラリアに到著した後も、建築家と連絡(luò)を取り合い一緒に働きたい旨を伝えた。
その熱い思いが伝わり、ついに梶ヶ谷さんはオーストラリアを拠點(diǎn)に活動(dòng)する世界的な建築家ピーター?スタッチベリー氏の設(shè)計(jì)事務(wù)所で働くことになった。
しかし、そこでは思わぬ挫折が待っていた。
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