1939年、舊日本軍の衛(wèi)生材料工場(chǎng)長(zhǎng)兼軍醫(yī)だった山口誠(chéng)太郎氏は紫金山のふもとで南京の女の子がオオアラセイトウを摘んでいるのを見掛け、深く感動(dòng)した。種を日本に持ち帰り、紫金草と名付けた。退役後、山口氏一家は4代にわたり花の種を精魂込めて育て、寄贈(zèng)し、日本に広めた。日本の教師?大門高子さんと作曲家?大西進(jìn)氏はこの物語を背景に、合唱組曲「紫金草物語」を創(chuàng)作、全國(guó)に20の「紫金草合唱団」を誕生させ、紫金草を平和の花として、日中両國(guó)で広く伝え続けている。
山口誠(chéng)太郎氏の子息、山口裕氏は記念館に2007年、5千平方メートルに及ぶ紫金草花園を寄贈(zèng)した。2009年、日本の平和を愛する人々が提唱し、募金により創(chuàng)作された「紫金草の女の子」銅像が記念館で落成した。(編集HT)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年12月5日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386