引き裂かれそうな感情と自責(zé)の念
97年10月、被害者だけの証言では不十分と感じ、「日本人を説得するためには、被害者と加害者の証言、両方を合わせなければならない」と考えた松岡さんは日本の6都市に3日連続で、「南京大虐殺情報(bào)ホットライン」を開(kāi)設(shè)した。
ホットラインを通して、松岡さんは元兵士13人の情報(bào)を得ることができた。しかし、會(huì)うことは何度も拒否され、手土産を持っていったり、戦爭(zhēng)の苦しさを皮切りに質(zhì)問(wèn)するなどして、大阪や京都にいる元兵士の誇りにさえ感じていたり、軽視したり、忘れかけていたりする戦爭(zhēng)の記憶を少しずつ記録していった。
「見(jiàn)つけた日本の元兵士250人のうち、戦爭(zhēng)を反省していたのは4人もいなかった。そのうち、最も深く反省していたのは故?松村芳治さんだった」。
松岡さんが忘れることができないのは、長(zhǎng)年、「自分も殺人をしてしまった」と率直に語(yǔ)っていた松村さんが、亡くなる寸前になって初めて、「自分も中國(guó)人の女性を強(qiáng)姦した」と吐露したことだという。短い言葉だったにもかかわらず、良心の呵責(zé)に襲われた松村さんはそれ以上のことを語(yǔ)ることはできなかった。
李さんは松岡さんに、「今でも日本人を見(jiàn)ると気分が悪くなる」と率直に語(yǔ)った?!袱长欷啶沃袊?guó)人の日本人に対する本當(dāng)の見(jiàn)方」と感じている松岡さんは、自分を信頼してくれる被害者を本當(dāng)に大切にしている。そして、中國(guó)語(yǔ)も學(xué)び、今では簡(jiǎn)単な會(huì)話(huà)ができるようになっている。
多くの戦爭(zhēng)被害者が少しずつ松岡さんのことを、「日本人の友人」と見(jiàn)なすようになってくれ、亡くなる前に、彼女のことを思い出してくれる人もいるという。松岡さんにとって最も印象深かったのは、張秀玉さん(88)が亡くなる1カ月前、手を握りながら、「絶対に日本人に真相を伝えて」と頼まれたことだ。
近年、松岡さんが中國(guó)を訪(fǎng)問(wèn)する回?cái)?shù)は、1年に3回から6回に増え、調(diào)査の成果も大きくなるばかりだ。これまで、「南京 引き裂かれた記憶」「南京の松村伍長(zhǎng). ー閉ざされた記憶を?qū)い亭譬`」など、ドキュメンタリー3作を製作し、日本語(yǔ)、中國(guó)語(yǔ)、英語(yǔ)の書(shū)籍や寫(xiě)真集6冊(cè)を刊行してきた。來(lái)年に刊行される予定の中國(guó)語(yǔ)版の「南京 引き裂かれた記憶」には、英語(yǔ)版の22人より16人も多い38人の証言だけでなく、一層多くの寫(xiě)真が収められている。
松岡さんは、「私のしている事業(yè)は、歴史をはっきりさせるためだけでなく、殘酷な戦爭(zhēng)を二度と起こさないため。中國(guó)だけでなく、日本のためでもあり、両國(guó)の次の世代のため」と語(yǔ)る。 (編集KN)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2016年9月21日
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