過度の商業(yè)化
人気俳優(yōu)?劉徳華(アンディ?ラウ)ら主演の「天機?富春山居図」のマーケティング?広報を行った北京無限自在文化伝播の朱瑋傑?最高経営責(zé)任者(CEO)は、「現(xiàn)在の映畫業(yè)界は、商業(yè)化に走りすぎ、興行収入と利益だけを求めて、作品のクオリティや価値はないがしろにされている。2002年の『HERO』(原題: 英雄)から、興行収入が1億元(約16億5千萬円)を超えれば成功と言われるようになった。興行収入が億を超えると、監(jiān)督や製作會社にとって非常に誇らしいこととなっている」と指摘している。そのため、監(jiān)督も製作會社も、名譽と利益のためなら、非常識でも全く気にしなくなる。ブーイングや疑いの目があっても、彼らにとって映畫は「消費」するためだけにあるもので、お金を出して見てくれる人さえいればそれでいいのだ。
また、映畫市場が過度に商業(yè)化されていることで、公正で影響力ある映畫評論システムがなくなっている。あるメディア関係者は取材に対して、「お金を払って高い評価をしてもらったり、人を雇ってネット上の評価ポイントを操作したりするというのが、映畫製作會社の常套手段」と明かしている。
若者は蕓術(shù)的鑑賞価値に興味なし
取材では、多くの観客が好奇心から、不評の聲が高い映畫を見ていることが分かった。例えば、電さんは取材に対して、「高いチケットを買って映畫を見るというのも一種のファッション。自分だけ見てないとなると、その話題になってもついていけない」と、今の若い人にとって、映畫を見るのは単に時代について行くためだけで、映畫に蕓術(shù)的鑑賞価値がどれほどあるかは気にしないことを語ってくれた。ほしいのは話題と映畫を見た後の快感なのだ。また、映畫をめぐる賛否両論が、中國國産映畫の「魅力」になっているのも驚きだ。例えば、「分手大師」や「小時代」のストーリーがおもしろくないと言う聲があれば、鄧超や郭敬明などの新人の「創(chuàng)造力」を稱賛する聲もあるのだ。メディアの酷評やネット上での論議が、逆に多くの人の好奇心をそそっている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年7月31日
![]() |
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、寫真の無斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257、080-5077-8156 北京 (010) 6536-8386