
陝西省考古研究院はこのほど、延安市の蘆山◇(山の下に卯)遺跡の最新の調(diào)査結(jié)果を発表した。遺跡內(nèi)では四合院に似た構(gòu)造を持つ高級(jí)建築群があり、そして中心の大通りを中軸とした左右対稱の構(gòu)造を示している。これは中國最古の宮城の原型の可能性があるとみられている??萍既請?bào)が伝えた。
発掘により、大営盤梁人工臺(tái)基の上部に3つの屋敷が分布していることが確認(rèn)された。北の大型屋敷と南の2つの小型屋敷が「品」の形をしている。建設(shè)が始まったのは廟底溝二期後期で、甘泉史家灣、襄汾陶寺遺跡の早期と同じ年代だ。
1號(hào)屋敷の構(gòu)造はほぼ明らかになっており、四合院型の二進(jìn)構(gòu)造となっている。屋敷は南向きで、東西の壁の內(nèi)側(cè)に沿って建物が整然と並び、入口はいずれも屋敷の中心を向いている。
屋敷の中部の北寄りには主要建築物3棟が南向きに並んで建てられている。建築面積はそれぞれ約200平方メートルで、建築物間には幅3メートルの通路がある。主要建築物は屋敷を前と後に分けている。前屋敷の中心には南北方向の大通りがあり、南門巷道と主殿を結(jié)び、この屋敷の中心の大通りとなっている。その東西には左右対稱に低い窪地(池もしくは溜池)があり、前屋敷の集中的な貯水に用いられていた。排水の機(jī)能を持っていた可能性もある。
蘆山◇調(diào)査チーム長、陝西省考古研究員副研究員の馬明志氏は「全體的に観察すると、竜山時(shí)代後期から夏?商?周時(shí)代の都邑遺跡には、宮城もしくは宗廟建築の配置が蘆山◇の大営盤梁宮殿屋敷と近いものがあり、整った四合院の構(gòu)造を示している。例えば原鳳雛宮殿(宗廟)建築遺跡などとの間には、ある種のつながりがあるかもしれない。蘆山◇中心エリアの人工臺(tái)基及びその上部に構(gòu)築された整った屋敷は、中國の古い宮殿もしくは宗廟建築の早期形態(tài)の一つと見なせるかもしれない」と述べた。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2018年12月3日
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