クラスで積極的だったのは鳥飼さん。がっしりしていて背も高く、元?dú)荬?、生徒の中でも特に生き生きとしていた。クラスの忘年?huì)や新年會(huì)、歓迎會(huì)、送別會(huì)などを計(jì)畫してくれたのが鳥飼さんで、核の倫理に関する研究をしており、趣味は射撃だった。休みの日には、中國(guó)語(yǔ)を勉強(qiáng)するか、射撃の練習(xí)に行っていた。授業(yè)中は、お茶を飲んでいる人もいれば、コーヒーを飲んでいる人もいたが、鳥飼さんの機(jī)の上にはいつもコーラが置かれていた。私が「中國(guó)では普通子供か若者がコーラを飲む。さすがクラス一の若者」と冗談をいうと、鳥飼さんはうれしそうに、一生懸命中國(guó)語(yǔ)を使って「大分前にすい臓がんになって入院していた時(shí)、1カ月も自分で食事もできずに寢たきりだった。その時(shí)、1日中、テレビの料理番組を見ていて、一番の願(yuàn)いがコーラを飲むことだった」とコーラ好きになった理由を教えてくれた。
佐藤さんは農(nóng)業(yè)の専門家。郊外に畑を借り、土のついているパクチーをしょっちゅう送ってくれた。それはパクチー本來(lái)が持つ香りがして、子供のころの味を懐かしく思い出せた。しかし佐藤さんは「中國(guó)料理はとても好きだが、パクチーの味はちょっと苦手」と話していた。
いつも発音に真剣に取り組んでいた田中さんは情報(bào)通信エンジニアの専門家だったが、文化や歴史の知識(shí)も豊富だった。中國(guó)各地を訪れた経験があり、歴史を深く研究し、しっかりとした自分の見解を持っていた。またシルクロード関連の本も出版していた。そんな田中さんを私は一度中國(guó)に招いて、ガイドをしてもらいたいと思っていた。
丸尾さんは食品関係の専門家。頻繁に中國(guó)に行って技術(shù)指導(dǎo)をしていたため、欠席が多かった。毎回、出張に行くと、お土産をみんなに持ち帰り、中國(guó)で見聞したことを披露してくれた。
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