一つの文章に対する評(píng)価は、現(xiàn)実を反映しているか否か、社會(huì)を的確に観察しているか否かによって決まる。文章のスタイルがあまりにも大仰で誇張されていたり、刺激的なタイトルであったり、事実とは似て非なる內(nèi)容だった場(chǎng)合、読者を冒とくしているだけでなく、発信する価値も無(wú)く、世論という生態(tài)を汚染するだけの存在でしかないといえる。人民網(wǎng)が伝えた(文?林峰)。
最近、「米國(guó)がビビってる!」や「日本がビックリ仰天!」、「歐州が後悔しまくり!」といった類(lèi)の文章がネットに蔓延しているばかりでなく、不思議なことにそのアクセス數(shù)も少なくない。しかしながら、こうしたいわゆる「超人気」な文章をよく見(jiàn)てみると、その中身に目新しい內(nèi)容は見(jiàn)られず、懸念を抱かせるような內(nèi)容ばかりとなっている。例えば、誇張され、偏りのある見(jiàn)方に基づいて全體を語(yǔ)りながら、「この分野において中國(guó)は多くの『世界一』の記録を打ち立てた!これについて異を唱える者は誰(shuí)もいない」と聲高に主張している文章。または、勝手気ままに話題として祭りあげ、不注意な発言をしながら、「恐れる必要はない!中國(guó)の科學(xué)技術(shù)力は米國(guó)を凌ぎ、今や世界一」と吹聴する文章。さらには、獨(dú)りよがりな考えから、額面通り受けとめ、海外のちょっとした言葉に対して、「中國(guó)は世界という舞臺(tái)の中央に立った」や「中國(guó)は今や世界トップの経済大國(guó)」と過(guò)大評(píng)価する文章などだ。
こうした「?jìng)ゴ螭饰恼隆工摔?、「事実が無(wú)く、內(nèi)容も無(wú)く、思想も無(wú)い。あるのは取り繕った上っ面だけ」という共通點(diǎn)がある。文章というものは、大袈裟な表現(xiàn)によってその輝きが増すことは無(wú)い。同様に、國(guó)家も自らを誇張することで強(qiáng)くなることは無(wú)い。極端に感情的で、偏見(jiàn)に基づいた文章を見(jiàn)境なく発信することで、大衆(zhòng)を身の程をわきまえずに尊大で自畫(huà)自賛して高慢にさせるといったような錯(cuò)覚に陥らせ、社會(huì)を情報(bào)の斷片化や思考のプログラム化といった認(rèn)識(shí)のクローズド?ループに陥らせることになりかねない。
マスコミ學(xué)においては、「最も優(yōu)れた編集者はきっとマーケティングの専門(mén)家でもある」という見(jiàn)方があるように、一部のメディアにとって、大仰で尊大な文章のスタイルは、確かに人目を引き、読者を増やすための風(fēng)船のような存在だが、それはちょっと觸れただけですぐに破けてしまう。この種の文章を創(chuàng)作した作者にとって、タイトルとはエサをつけた釣り針にほかならず、「刺激」というスパイスを加えなければ、人々の食欲をそそることはできない。しかし、ニュースはライトノベルではない。マーケティングだけを重視してその內(nèi)容をおざなりにし、人目を引くことばかりを重視して責(zé)任について考慮しなかった場(chǎng)合、たとえ一時(shí)は時(shí)流に乗ったとしても、人々を誤った方向へ誘導(dǎo)してしまうことになる。
あるネットユーザーは、「?jìng)€(gè)人メディア時(shí)代に入り、ニュースは増える一方だが、真相からはますます遠(yuǎn)のいている」と嘆いている。確かに大仰で尊大な文章スタイルは一見(jiàn)すると「アクセス増加」の近道のようだが、実際にはニュース作成を誤った道に導(dǎo)く岐路にもなっている。統(tǒng)計(jì)データによると、昨年ニューメディア業(yè)界関係者の數(shù)は300萬(wàn)人を超え、コンテンツクリエイターに対する各種機(jī)関からの投資総額は50億元(約830億円)を上回っている。しかし個(gè)人メディアが自由な創(chuàng)作を望む以上、自己を厳しく律することが求められる。無(wú)制限に話題を祭り上げ、言いたい放題ともいえる情報(bào)を発信するならば、道徳を踏み外し、法の道に背く結(jié)果となり、人々の認(rèn)識(shí)にとって害となるばかりか、さらにはメディアに対する信頼を失わせる結(jié)果となるだけだ。
オムニメディア時(shí)代においても、真実に基づいた客観的なニュースという基準(zhǔn)は変わっておらず、目新しく興味深い質(zhì)の高いニュースに対する価値も変わってはいない。そして誠(chéng)実で事実を重んじた実際的な文章スタイルという方向性も変わっていない。そのため、文章の作者が自らを律して自覚し、文章スタイルと社會(huì)の気風(fēng)を結(jié)び付け、アクセス數(shù)と感情的なしがらみを解き放ちさえすれば、本當(dāng)の意味で堂々として自信あふれた文章を生み出すことができるだろう。
ニュースは事実と真相と正しい道を語(yǔ)るべきであり、いささかの偽りや誇張もあってはならない。受けを狙って、わざと虛言を弄したり、大仰な言い回しで注目を集めようとするやり方はやめるべきだろう。(編集KM)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2018年7月4日
このウェブサイトの著作権は人民日?qǐng)?bào)社にあります。
掲載された記事、寫(xiě)真の無(wú)斷転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn