日本で気功師をしている人は年配の方が多かったので、中國(guó)に來て、そこで働いている多くの人が10代だったことに本當(dāng)に驚きました。さらに、自分と同い年の人が気功をしている姿や、その人たちの禮儀正しさを見て、カルチャーショックを受けました。
たとえば、ちょっとしたことなんですけど、年配の方が歩いているときに、手を引いてあげたり、階段を上り降りするときに、すぐに寄って行って助けてあげたりとか、ごく自然に人を手助けする姿が見られ、自分と同じ年齢なのに、なぜそこまで気がついて、人に優(yōu)しくできるのだろうかと、びっくりして。もちろん醫(yī)療に攜わっているからというのもありますが、普段でも、食事をしているときでも、常に周りの人を気遣い、世話をしている様子に心を打たれました。
初めて會(huì)ったのに、一日で家族みたいになって。中國(guó)人がよく言う「同じ釜の飯を食べると、一日にして家族になる」というのをまさにこの時(shí)、じかに體験しました。1週間滯在したのですが、本當(dāng)に離れたくないと思えるほど強(qiáng)い絆が生まれました。
この中國(guó)訪問をきっかけにして、宮崎さんの人生の目標(biāo)は、180度大きく変わることになった。
――日本で普通に暮らしていた感覚からいくと、トイレや環(huán)境などすべてが驚くことばかりでしたが、中でも一番大きなショックだったのは、自分の甘さを?qū)g感したことでした。中國(guó)の若い人たちを見て、自分の恵まれた環(huán)境に感謝する、というよりも、自分は今のままでは駄目だという気持ちが強(qiáng)くなって、何もない世界で、自分1人でどこまでやれるのだろうか?、という疑問が生まれました。
滯在中は通訳さんに大変お世話になったのですが、この方は大學(xué)を卒業(yè)したばかりで、一度も日本に留學(xué)に行ったことがないのに、非常に美しい日本語(yǔ)を話されました。田舎の農(nóng)村出身で、何も頼るべきものがない中で、自分の力でがんばってきたんだろうというのを垣間見て、目に見えるものより、內(nèi)側(cè)を磨かないと駄目なんだという気持ちが一層強(qiáng)くなりました。
それまでは、どちからというと、もっと高く、もっと多く、最先端であるアメリカで多くのものを教えてもらうことを目指して、アメリカに憧れていましたが、帰國(guó)後はそれが一気に色あせ、今までの価値観が崩れ落ちた気がしました。あるものを目で見て受動(dòng)的に學(xué)ぶのではなく、ないものを見るために、自分をゼロから鍛えることが今必要なんだと、目標(biāo)が180度変わってしまったんです。帰國(guó)して1週間後には、中國(guó)留學(xué)を決め、気功師になると決意をしました。そして、母親に中國(guó)留學(xué)を宣言しました。おそらく、母親もそれを聞いて、シメシメと思っていたことでしょう。(笑)
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